都内のストリートファッション文化の記録:1980年—2016
東京の若者とストリートファッション文化の記録
1980年8月9日、ファッション・カルチャーシンクタンク「ACROSS」の編集部が渋谷、原宿、新宿の路上に立っていた。それ以来、毎月第1土曜日には、各都市、人、ファッションなどを3点ずつ同時に観察し、通り過ぎる人数やファッションイベントを測定し、今年は36年間、注意深く取材する「固定点観察」を続けています。それは目になります。36年後の東京の若者をリアルに映し出すドキュメンタリーです。
【1980年〜1989年】ストリートファッション文化の始まり
日本における世代的な連携感は昔から存在したわけではありません。「若者」として同年代の人々と共同体的な意識を持ち、大人に抵抗する文化が生まれたのは70年代後半。当たり前のように受け継がれてきた代わり映えのない価値観を否定するように、彼らのファッションはどんどん独自性を育てていきました。
80年代前半になると消費社会が急速に進行し、ポパイ、プレッピー、JJなど大人への憧れを象徴するようなライフスタイルが先行するようになります。若者の多くはアメリカの若者のライフスタイルを真似るようになり、若い男性向けファッション雑誌『POPEYE(ポパイ)』などが人気を博しました。『POPEYE』は若者文化をリードする前衛的な雑誌となり、“American way of life(アメリカ式生活)”を紹介する雑誌が次々と生まれます。
「大人への憧れ」を否定するようなファッション文化が生まれたのは80年代半ば。若さを強調するようなファッションスタイルが流行りだし、日本独自のファッション文化が生まれます。個性的、差別化を目指した「DCブーム」も、海外の模倣ではなく独自性を重視する価値観の表れだと言えるでしょう。70年代後半の「団塊の世代」から逃れようとする「新人類世代」が生まれ、彼らが新たなファッションを牽引していきました。
若者世代の共通点は新しい文化を外から取り入れ、それを商品化し消費する能力に長けていること。「ボディコン」や「イタリアンカジュアル」「ヒップホップスタイル」など、さまざまなものを取り入れ自分たちなりに消化していきました。